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09.30
Sun


何時も車で通る処に、この花を一杯付けた路傍の花壇がある。
車を止められれば、一杯撮れるんだがなあ~って、横目で見ながら通り過ぎている。
茎は直立しその先端に多くの花を付ける。
しべが雄雌とも異常に長く伸びている。
よほどよく見極めて撮らないと、しべばかりが写っている画になってしまう。
フウチョウっていうのは風に舞う蝶なのだろうが、処によってはスパイダーフラワーなどと呼んでいるところもあると言う。
呼び方一つにしても、蜘蛛よりも蝶の方がいいに決まっている。
フウチョウソウ科フウチョウソウ属の一年草。



Cleome hassleriana ms2



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09.29
Sat

背丈ほどにも伸びる、大きなダリアもあれば、花壇の片隅で遠慮がちにひっそりと咲く小さなダリアもある。
夏の炎天下から咲き続けて、ようやくその使命を終えたように、ひとりぽっちの小さな花を咲かせていた。
ダリアが我が国に入ってきたときは、爆発的な人気を浴びたダリアも、その花の美しさにもかかわらず、ダリア園などは閑散としている。



Dahlia ms2



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09.28
Fri


これは芙蓉かムクゲか判断が付かないが、散歩の途中で見かけた、木々に間に咲くたった一輪の花。
いずれにしても、ハイビスカス系の花の命は短くての代表のような花々である。



Hibiscus syriacus ms1sx


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09.25
Tue


Lycoris radiata ms9ssx



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09.24
Mon


昨夜は満月かと思うほどのまん丸な月が煌々と輝いていたが。あっという間に雲に被われてしまった。
春分の日の月齢は十三才半ばのようで、満月は明日のようである。
何時もイメージに描くのは、大きな満月の中に曼珠沙華を入れて撮ることが出来たらと思うのだが・・・
叶わぬ夢とはいいながら、光の光芒の中に真っ赤な曼珠沙華を浮かばせる試みは何年となく行ってはみたが、
光芒が多すぎて理想の姿にはほど遠いものばかりが山積していく。



Lycoris radiata ms13



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09.23
Sun

お彼岸とは言っても彼岸花を飾る人は少ない、というよりもほとんど居なかろう。
やはり昔から言われるように死人花などという有り難くない名前を頂いている所為なのだろう。
この頃は花壇などにも、彼岸花を植えるところもあるようだが、多くは真っ赤な彼岸花ではなく、広い彼岸花後好まれるらしい。
お彼岸とはいっても、今日あたりでは、群生地の彼岸花も、もう既に時期を過ぎてしまっているのだろう。
人間、歳を重ねてくると、遠出が億劫になって、ついつい近間なもので済ませようとする。
これは何も肉体的な歳だけではなく、趣味の領域で何年も同じものを撮り続けていると,
その経験年令でも同じ事が言えるのではなかろうか。
何事に因らず、経験や知識を積み重ねていると、なんとか理由を付けて、
身近にあるもので済ませようとしていることに気付いたのはもう何年も前だから、頭の老化も極限に達しているのだろう。
身近な世界だけで考えていれば楽が出来るからだと、知らず知らずのうちに頭が勝手に考えているのかも知れない。



Lycoris radiata fm1


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09.22
Sat




街路樹の根方に色も花姿も貧弱な彼岸花が寂しげな様子を見せながら佇んでいるのを見つけた。
これはとても画にはなるまいと思ったが、その姿が如何にも寂しげな様子に引かれて、画家ならこれをどのように表現するのだろうと思った。
画家なら己の感性に従って様々に工夫できるのだろうが、写真では・・・と思いつつそれでも画にはならないだろうかと・・・

今日は直射が弱く白飛びもそれほどなかろうと・・・・それでもこの色あせた色はどうにもなるまいと・・・
一方で林間に隙間なく広がる曼珠沙華の姿ばかりが画になるのだとしたら・・・・



Lycoris radiata ms2


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09.21
Fri

紫式部か小式部かの区別はつかない。
いずれにしても木本自体は貧弱なものであったが、色付き始めたそれぞれの果実の色合いが面白さを醸し出している、
そんな気がして、つい撮ってしまった。
そんな画である。

紫式部は言うまでもないが、小式部は和泉式部を母に持つ平安時代の優れた歌人であり、面白い逸話もついて回っている。
頭の切れる、優れた歌人であったが、何故か数が少ない。
あの時代は、源氏物語でもわかるように、現代でいう不倫などという観念は希薄であったらしく、それなりに楽しんだようである。
しかし、女が子を産むというのは、大変なことで、あの当時、この小式部も子を産んで、二十七才とも八才とも言われる若さでこの世を去っている。




Callicarpa japonica ms9sx


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09.20
Thu

日本の様々な行事は旧暦を持ち出すことが多いが、このオミナエシにしても、
旧暦八月十五日の十五夜にか飾る秋の七草の一つである。
新暦、旧暦何も拘るわ気ではないが、何故か旧暦に郷愁みたいなものを感じる。
このオミナエシといえば万葉や源氏にも登場する古代からなじみが深い。
さらにこの植物、オミナエシあるいはオトコエシを漢名では敗醤と呼ばれ、
根を含む全草を乾燥させて、生薬、漢方薬として用いられてきた。

秋の七草は息災を願って食する春の七草と違って、眺めて楽しむ草々である言っていいのだろう。



Patrinia scabiosifolia ms2



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09.19
Wed

長い茎を一杯に伸ばして、一時も止まることなく風に揺れている。
北アメリカの多年草であってみれば、もうほとんど雑草と言っていい。
名前だけは花の姿から、白蝶草とか、ガウラとか呼ばれているが、公園などの花壇に植えられると、始末に負えないくらい繁茂しているのみる。
今は草むらなどの繁茂しているのはほとんどが白花ではあるが、ピンクの花も出回っているというから、
そのうちどこかの庭から逃げ出した奴が、草むらを埋めることもそう遠い将来ではなかろう。



Oenothera lindheimeri ms2x


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09.18
Tue

芙蓉の花は概して大きいが、アメリカ芙蓉のように馬鹿でかい花は、東洋を原産とするものにはない。
灼熱の夏から秋にかけてハイビスカス属の花が続いているが、耐寒性のない種だけに、これら芙蓉がその最後を飾るのだろう。
芙蓉とムクゲは花だけを見るとなかなか区別が難しいが、全体を見る特別がつきやすいとはいう。
八重種の酔芙蓉などはなかなか味のある種のようではある。
この芙蓉のように小さなものは画にするにはとても適しているような気がする。



Hibiscus mutabilis ms3sx



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09.17
Mon


美しいものは美しくストレートに、人でも花でもそれは変わりはない。
昔の写真家と言われた人々は何の小細工もしなかったように思う。
己の感性のままに・・・・
入江にしても、土門にしても、秋山にしても・・・・・
近頃のプロと言われる連中は小細工が過ぎるように感じる。
いきおいアマはそれを真似るものも多く、小細工の画が氾濫しているように感じるのだが。
美しいものは美しく、何の小細工もなくストレートにその美しさを、自分が感じたその美しさを出せればそれでいい。




Cosmos ms12


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