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11.30
Fri

随分昔、中判カメラを思いアルミバッグに詰めて、あちらこちらと石仏を撮りに歩いたことがある。
いまは35mmデジタルさえも重くて閉口しているが、好きなものは止められそうもない。
不動尊の山道に、あちらこちらと石仏が点在しているが、お年寄りがそれを巡っているのだろう、元気なものである。
何を願うのやら、一つ一つ手を合わせて拝んでいる、それから比べて己などは罰当たりなものである。
以前なら赤い帽子に赤い前垂れをした石仏は決して撮らなかったであろうと思いながら、
シャッターを落としているのを考えると、変われば変わるものだと、我ながらおかしくなってくる。




View tf15sx




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11.29
Thu



ずう~っと昔、京都へ紅葉を撮りに行ってた頃は、紅葉の良い悪いを随分と気にして出かけたものだが、
今年の紅葉はできが悪いようである。
モミジも色合いも鮮やかさが全く欠けてしまって、画面に多く入れるとぶち壊しの画になってしまうような気がする。
ここ高幡不動の紅葉も、樹によってはとても撮る気の起きないようなくすんだモミジが結構目立つ。
今日あたりは雲が多く日差しがあまりよい方ではないので、期待できるほどのものはほとんどなく、
見ることの出来ないものばかりが増えてしまったようである。



View tf35


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11.28
Wed

山道の所々に咲いた安ものの山茶花。
安物の山茶花はどこに咲いても安物は安物美しくは見えない。
ただ、安物だけに花数は多い。
遠目に見ると濃い緑の中に無数に咲く赤い花が美しいと見る人も居よう。
綺麗と言いながら通り過ぎる人も居る。
ものを見る美的感覚は人それぞれのようだ。



Camellia sasanqua ms1



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11.27
Tue

落ち葉に、枯れ葉、かっては華々しい美しい花を咲かせていたのだろが、今は萎れた残骸がへばりついている。
未だに残る紅葉や赤い実がなければ寒々とした初冬の侘しい姿。
どこの世界もいずれはこの時期を迎える。
これから始まる紅葉を楽しんだ後は・・・・
道元にいわせれば錦秋の秋が寒々といた冬に移り変わるのではなくそれぞれ別個のものとして存在するのだとは言うが、
我ら凡人には清々しい秋が、寒々とした冬に移り変わっていくとしか思えない。
冬には冬の楽しみがあるのかも知れない。
もう何十年同じことを繰り返してきたのだろう。
道元には済まないが、寒い冬にほのぼのとした暖かさのある春が来るのを思いながら、
命を紡ぐのが我ら凡人の生き様なのである。



View tf23



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11.26
Mon


高幡不動には巨大な五輪塔がある。
この五輪塔の上に、これを飾るかのように、紅葉した樹が枝を伸ばしていた。
まだ真新しい塔のように見えるが、第二次大戦で物故したものの供養塔として建てられたと記されている。
アメリカあたりになると、一つの戦争などで亡くなった人々の名前が、巨大な石の壁にびっしりと並んでいる。
随分昔になるが、紀州白浜へのバス旅行の途中、高野山の奥の院に連れて行かれたことがあるが、
あそこは平安後期になって、弥勒下生の地として、供養塔や墓標として、骨を納めたと言われている。
室町の頃になると石の五輪塔まで持ち込むようになったと言われている。
あの当時、あの奥の院が観光の名所になっていると聞かされて、
人間って言う生き物はなんと阿呆な生き物だろうと思ったものだ。
縁も所縁もないものの数限りない墓標を眺めるなど阿呆の骨頂としか言い様がない。



View tf25



それでもただ一つ訪れた先に由緒ある卒塔婆などがあれば、何かの画にするには一つの点景としてとてもよい存在に成るのかも知れないが・・・・
これが物故者の供養塔であってみれば、なんと罰当たりな輩だと言われても仕方がないのだろう。


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11.25
Sun

かっては、直ぐ近くに住んでいたにも拘わらず、高幡不動へは滅多に足を向けなかった。
二、三年前から何かの拍子に出かけて以来、節目節目に出かけては画作りを楽しんでいる。
紅葉を楽しみにして出かけたが、やはりまだ早かったようで、全山真っ赤に色づくのは少し先のようである。
尤も、もう一度訪れる楽しみがあるだけに、今回は少々の紅葉で我慢することにしよう。




View tf1




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11.24
Sat


高幡不動の紅葉がモミジは見頃になってきましたと有ったので、半分は不信のままで、出かけてみた。
おおよそ人の感覚には大きな差があるので、ここの紅葉はまだまだだと思っていたのだが、
カメラの使い勝手を見るためとレンズの性能を見るためにもと思って出かけてみた。
案の定、紅葉とはほど遠い状態ではあったが、完全に色付いた木々もあってそれなりに楽しめた。
何よりも、あれだけ探した千両に出会えたのが何よりの収穫であった。



Sarcandra glabra tf1


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11.23
Fri

ここまで秋が深まってくると、花を付ける植物は限られてくる。
何か目新しいものはないかと、コースを変えて散策してみたが、何もない。
ただ有るのは病葉ばかり。去年までは万両を撮りたくても、ほとんど目にすることもなかったが、
散策のコースを変えてみると、秋の実りの赤い実を付けた樹を何カ所かで見かけることが出来た。
万両やピラカンサが様々な姿を見せてくれたが、
欲を言えば美しい姿の南天が、それから千両があれば申し分なかったのだが、
そうはうまく問屋が卸してくれないようだ。



Ardisia crenata ms36



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11.22
Thu


紅葉の時期になると花ガレの時期に近づいたと思っていい。
今は安物の山茶花が街にあふれているが、撮る気も起きないほどくたびれた花を何時までもぶら下げている。
今の時期まだまだ薔薇が元気な姿を見せているものもある。



Rosa js29



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11.21
Wed

もう少し洒落た名前が付けられないものだろうかと思うことが多い。
寿司のシャコはうまくても、名前が繊細でない分,花の美しさを、減じているようだ。
去年は短日処理に忙しく手間を掛けたが、一つとして開くことなく、大きくなった蕾のまま落下していた。
もうそんなものに手間を掛ける気がしないのは当然といえば当然だが、植物とて過保護はうまく育たないようである。
水やりと芽摘みはするが後は放置。
赤いシャコバはもう満開、白い奴もちらりほらりと花を見せ始めた。



Schlumbergera ms28


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11.20
Tue


千両役者は居ても、万両役者ってのは居なかったようだ。
一口に千両といっても江戸の頃の時代によって随分と差があったろう。
あほな将軍や無能な老中が続けば、あっという間に金蔵は空っぽになった。
そこへ幕末近くなってから、松平定信などという無能な輩が老中になって、先見の明も、洞察力もなきにも拘わらず、
棄捐令などというものを発布して、江戸の景気は一挙に沈下した。
それはさておき、千両役者はいても、万両役者ってのは聞いたことがない。
それもそのはず、千両役者ってのは年間契約料、いわゆるお抱え料が千両ということらしい。
江戸の時代によって、千両に値打ちは随分と違うとしても、現在に換算して一億円を下ることはなかったろう。
とすれば万両役者など出現するはずもないか・・・・・
それにしても、松平などという馬鹿が棄捐令を発布したために、札差の総借金額が百二十万両が消えてしまったことになる。
それよりも一番被害を蒙ったのは、札差には間違いないが、
江戸の庶民が冷え切った経済の低迷で、生活苦にあえいだ。現代ならどうなる。
何時の時代も被害を蒙るのは、何の力もない庶民であることに変わりがないようだ



Ardisia crenata ms26


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11.19
Mon

つい一ヶ月ほど前はまだ赤味が少なかった万両だが、もう真っ赤に熟している。
多くの赤い実は鳥たちの啄む絶好の餌となるのだろうが、万両は樹形の関係で鳥たちの餌とも成ることはないようである。
熟して萎びて落ちていくのだろう。
それが何年かすると地中から芽を出して、新たな生命として育って育く、生き物の生命の巡りなのだろう。



Ardisia crenata ms21


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