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02.13
Tue
写真でも絵画でも同じだろうと思うが、画面に取り入れるものが多くなればなるほど、
画面の構成が難しくなるのは当たり前の事だろう。
今頃の探梅のころが一番撮りやすいので、出かけるのはいつも今頃である。




Prunus mume js49s


(本ブログの全ての写真は著作権を留保。無断使用・転用・転載・複製を禁ず。)





画面の構成についていろいろ理論的な事を云々する人が多いが(特に写真家と称する輩は)要は画面のバランスであって、
基本に反していてもバランスが美的感覚を壊さなければどんな画面構成でもよいと思う。
目に飛び込んできた物は、花でも風景でも、それはもう自分自身であるということで、自分を撮るということなのである。
だとすれば自分を醜く撮るという人は何処の世界を探してもいない。
自分が美しいと思ったそのものを撮ればそれでいい。
先日なにかの本で、梅を撮るときは枝を画面の横から出してはダメといっている写真家がいた。
これなども要はバランスであって、違和感を感じなければ、枝を何処から出そうと不都合はない。
コーナーから出す方がバランスの取れる事が多いというだけの事である。

構図法と言うと三分割、二分割、放射、三角、対角線構図等時代とともにその構成の仕方が増え続けている。
以前、写真雑誌で日の丸構図だからこの画はダメなどと言っている、写真かがいたが、
この人はどんな写真を撮るのだろうと不思議に思った。
一方、画面を十六分割した、上隅に主役を置いた写真家もいた。
後はみどり一色のボケ、それでも立派に画になっている。

黄金分割比などと言われるものも幅を利かせてはいるが、撮るごとにこんなものを思い浮かべて撮っていると、
できあがった画は見るに見れないものが殆どになっているだろう。
常日頃画面の美しさを自分なりに思い描いくことが必要なのであって、
その美しいと思う画面に依って撮るのが一番いいのであって、これはダメあれはダメなどと言うものはないのである。

以前写真雑誌で人物の撮り方などと言う口座のページがあったのを本屋で見たが、
これを書いた写真家と称する輩のいい加減さに驚いたものであった。
近くの公園へモデルを連れ出して、作例写真を作ったのだろうが、モデルの頭のてっぺんから樹が生えていたり、
モデルの首の後ろを細い枝が横ぎっていたりするのが平然と載せてあった。
他の説明のために使ったのだろうが、これなどは悪例の最たるものであって、
写真家と称するものにとっては如何に作例のための写真ではあっても、絶対にシャッターを切ってはいけない場面である。
これは写真を撮るものの禁忌である。
写真家と称するものは写真が上手いとは限らないということである。
要は、画面全体との関係で、点、線、面の複合が、バランス、リズム、ハーモニーあるいはプロポーションなどが美的な秩序を保っていればいいのであって、
それらを常に頭の中で思い浮かべられることが一番重要なのであろう。



Prunus mume js45





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