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世の乱れ

或る小説を読んでいる時、こんな文章に行き会った。

乱世の乱れを嘆いた応仁記の応仁の乱前夜の記述である。

・・・・・・

天下は破れば破れよ、世間は滅ばば滅びよ。

人はともあれ我が身さえ富貴なれば。

他より一段瑩羹様に振る舞わんと成り行き・・・・・

  (註) 瑩羹様・・・威張る様子。

・・・・・

若シコノ時忠臣アラバ、ナドカ之ヲ諌メ奉ラザランヤ。然レドモタダ天下ハ破レバ破レヨ、
世間ハ滅ババ滅バヨ、人ハトモアレ我身サヘ富貴ナラバ他ヨリ一段瑩羹様ニ振舞ント成行ケリ」
と応仁記に記されているらしい。

世の乱れが語られるとき、必ずと言っていい程、登場するのが応仁の乱。
応仁の乱は京都の市街を舞台に細川勝元、山名宗全が回りを巻き込んで十一年にも及ぶ戦いを繰り広げた。
将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされてはいるが、
これには女が絡んでおり、腐敗した幕府の権力争いではある。


応仁の乱は、室町時代の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1478年)までの約11年間にわたって継続した内乱。

京都を中心に11年間も戦い続けた戦である。
傍迷惑もなんのその、権力者のエゴだけが表れた。

この応仁の乱の頃の日本人の心の中は、
「天下は破れば破れよ 世間は滅びば滅びよ 人はともあれ 我が身さえ富貴ならば」というものだったと、
応仁記の応仁の乱前夜に記されている。

当時の為政者は、室町幕府八代将軍足利義政と妻の日野富子。
この応仁の乱時代の幕府内部は乱れに乱れた不始末な時代。
国を治める連中がこんな価値観で動いていれば、国は乱れる。
そして、当然のごとく、民草はそのとばっちりを受けて、家を焼かれ、命を落とし、生活を蹂躙されていく。
残念ながら、倭から日本という歴史の中で、民草のことを真摯に考え行動した為政者は少数派でしかない、
というよりもほとんど皆無。

何処の国の歴史の中でも、民草を思う善政を敷いたといわれる傑物は必ず存在した。
だが我が国では二千数百年の歴史の中で、如何に探してもその様な人物を見つける事かなわず。
これはとても残念なことなのだが、太古以来、倭の民の意識は変わりようもないらしい。

古代ローマなどは、民草と呼ばれる人々が貴族に対していろいろと要求をし、
待遇が改善されていた部分もあったといわれるけれども、日本の民草は、お上意識が強く、
お上に対する要求などは以ての外、お上には逆らわないのが民族的な意識であった、ただ堪え忍ぶ事しか知らなかった。

そんな遺伝子が現代も生き生きと体内に流れているのが日本民族であるらしい。
この様な意識が払拭されない限り、日本人と言う生き物は未来永劫進歩などとは程遠い存在に成り下がってしまう。

この「天下は破れば破れよ 我が身さえ富貴ならば」という価値観は、
そのまま現代にも通じる人類普遍の価値観なのかも知れない。
乱世は室町末期や戦国期の話だと思っているが、それは認識不足。
現代の似非民主主義の世も将に乱世といえる、いやそれ以上の乱脈な時代時代なのだ。
己らが手を貸して選んだ権力者の好き勝手を当然の事と言う、こういう価値観が、お上から下々まで浸透しているのだから。
この価値観を、身を持って体験していてもなんとも思わない、日本人と言う生き物の救いのなさは、
応仁記に記されたものとは比較にならない程の乱世の民と同じと言っていい。

あの権力者のやりたい放題を一つ一つ数え上げてみるが良い。
先進諸外国と比べてみるといい。
あらゆる権力の矛先が国民を縛り付け搾取しているか一目瞭然の結果として目に飛び込んでくる。
これはもう卑下したり悲しんだりする様な生易しいものではない。

昔から日本はそういう国だったのだということは、もう諦めて受け入れるしかないと言う負け犬根性の者が如何に多いか、
こんな輩が淘汰されない限り日本と言う国はいずれ沈没する。

どこの国も持つ闇でしかない。
などと悟りきったような識者面した輩もいるが、この様な輩が我が国のがんなのであろう。
では、ずっと闇が続くのかというと、そうではなく、応仁の乱の後、百何十年か後には家康が江戸幕府を開き、
天下はそこそこ安定を取り戻したと言うものも居るが、安定取り戻したと見ること自体が間違っている。
ただ戦がなくなったというだけで、民が搾取されるという事実は全く変わりはない。

己らの給与を復元し、企業の復興税を廃止し、国民だけに税負担を強いる現今の政治屋、
民草を顧みず我が身さえ富貴なればという姿をさらす政治屋や官僚を見分するにつれ、
多くの心ある民草は、もう日本は終わった、と感じているかも知れない。

しかし、そうではないと云えればいいが・・・・。

そこが出発点なのである。
応仁の乱と同じような事、それが太古以来の常の姿であったのだ。
そこからどうするのかを、民草は問われているのだが、倭の民草にはその覇気が全くないといっていい。
応仁の乱の後、世間では下克上の嵐が吹きまくった。
地方の役人の倅だった織田信長も、百姓の出自である秀吉しかり、三河の土豪家康もまたしかり。
何にも持たない雑草が、そこからどうやって上って行くのか、世間が乱れれば、後はそこを考えていくしか手はないのか。
二千数百年の永い悠久の時を過ごした、この倭を返りみれば、ただ同じことを繰り返しているに過ぎないのだと、思えてならない。
現代も、応仁の乱も、戦国時代も、さらにその以前の古き時代も、みな同じなのだ。

ただ現代は雑草の中から這い上がった、一本の雑草が、元の古巣の仲間をいじめることに悦びを感じているに過ぎない。
雑草であったものが、権力を手中にするとその反動が恐ろしい。

その前例が明治の維新以後の権力争いから民の疎外によく表れている。
室町時代前後を日本史上空前の無軌道時代と評すると、この時代に匹敵する時代をもとめるなら、
現代がそれかもしれないとさえ憂う。

天下は破れれば破れよ、国はほろびばほろびよ
人はともあれ我が身さえ富貴なれば。
それが現代の政治屋と企業の精神によく表れている。


この随想は何年か前、他ブログに掲載したものだが、閉鎖の憂き目にあったので、
原稿の残っているうちに掲載してみようと、多少の修正を加えたものである。
折に触れて他の物も掲載しようと目論んでいる。
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